Aさんは 入院して 人工呼吸器の 調整 を 行い

患者さんから寄せられた声(呼吸器内科)

患者さんから寄せられた声:呼吸器内科

患者さんから寄せられた声は、患者さんご自身のお便りをご本人の了解を得て、同じようなご病気で悩まれておられる方に、少しでも参考になればということで、掲載させて頂いております。

【東京在住 60代 男性 K様】
私は今、呼吸器内科に問質性肺炎で治療を受けています。この病院に通い始めて2年半になります。以前は某大学病院で診て頂いておりましたが、そこでの診察はとても納得のいくものではありませんでした。まず患者をデータの一つとしか見ていないのではないかと思われる態度や、脅かしともとれる言動など、受診の度に絶望的な気持ちになり医療に対して不信感は募るばかりでした。
そのような時、T先生の掲載されている本を拝読しました。先生の治療に関する考え方や取
り組み、全て信念のようなものが感じ取られました。すぐに調べてT先生の診察を受けま
した。いろいろとお話させて頂き、先生の医療に対する経験、技量また人柄に触れ、やつと信頼できる先生に出会えることができた、と心底安堵しました。
この最初に感じた信頼は、今ではもつと大きなものとなっています、なぜならば入院することでこの病院とT先生の良さが確信出来たからです。特に緊急で入院した時は迅速な対応と個々に合った適切な治療など、私の身体の状態を診ながら、きめ細かい処置をして頂きました。そしてカンファレンスの時は夜遅くまで続き、その結果を入院担当医師が分かりやすく説明してくれます。もちろん看護師さんも優しく献身的な対応をしてくれました。
私は病気になった事はとても不運と思いますが、この病院とT先生に出会えたことに感
謝しつつ治療に専念したいと思っています。

[主治医のコメント]
Kさんの病気は原因がはっきりしないので,特発性間質性肺炎ということになりますが,非定型的です。このタイプの間質性肺炎には,今日行われている一律な抗線維化薬の投与には,副作用の点からも疑問を持っており,その人に合わせた治療を心がけています。難しい病気なので,患者さんが納得出来る治療を迅速に,を心がけています。スタッフのそうした努力を患者さんからもご評価頂けているのは励みになる事です。

S様 76歳,男性 多摩地区在住

大げさでも何でもありません。私は、この病院で「地獄から生還した」と思っています。以前からの咳,痰に加えて,やたら息が苦しくなり,地元の市立総合病院に通院中でしたが少しも良くならず、苦しさは募る一方で,平らなベッドでは呼吸が苦しくて眠れず、夜の大半を椅子に座って寝ていました。椅子ではそんなに眠れるはずがなく、いつも睡眠不足で、床擦れまで出来ました。
何とかならないものか、WEBで調べまくって探し当てたのが、この病院でした。呼吸困難で歩行外出が辛いけれど、電車で1時間,這うようにこの病院にたどり着きました。「肩で息している状態では、即入院ですね」とT医師が言いました。
入院するとすぐに、点滴と吸入がはじまりました。そして夜はしばらく、ベッドを角度90度に立てて寄りかかって寝ていました。6日目あたりに45度に倒せて呼吸がかなり楽になりました。入院前のあの絶望的な感覚は何だったのかと思うほど、希望が持てる変化が動き出しました。そして何よりも、食事がおいしいと実感できるようになったのは大きかった。入院前は食欲がなく、お茶漬けなどで無理矢理流し込むような食事でしたから、筋肉がなくなり、骨と皮ばかりの体型になっていました。食欲が出てきたのは、何年ぶりだろうか。ということは、長年の咳、痰が体にダメージを与えていたと言うことでしょうか。 入院2週間ほどで、ベッドを平らにすることに問題がなくなり、呼吸も睡眠も良好で、入院中なのにホテルにいるような安楽な気分になりました。
担当のS医師は毎日顔を出し、検査結果、薬の投入状況などを細かな説明を行い、患者の意見を熱心に聴き取ります。T医師もこまめに病室に顔を出し、現状を訊ねます。院長までも回診で単独で病室に現れます。病院として改革的なだけでなく、家庭的な匂いも感じさせるところがあります。
この医師達の調査・研究および探求心と改良・改革への意欲には感心しました。そういう意欲的なこの病院、ここの医師達が、私を「極楽へ引き上げてくれた」と、ものすごく感謝しております。
どこの病院でも、慢性病については教科書通りの抑える薬は出すが、意欲的に治癒改良・研究にまで踏み込んでいないと思います。私がこの病院を「ここだ」と選んだのは、「国内最高水準の医療を提供するのが“義務”」と、先端を行く取り組みを当然としている姿勢、そして患者さんの声を読んでもそれを裏付けているように思ったからです。
ここの看護師たちは、スピーディでよく動きます。パソコンの作業台を誰でも操作し、毎日数回の患者の検査数値を現場で入力しております。そういう事務能力だけでなく、看護活動もすばらしいものがあります。それまで毎日体を熱いタオルで拭いてくれましたが、入院9日目、風呂に入っていないからと股間の洗浄までやってくれたのは驚きでした。この病院では夜中いつでも呼び鈴を押せば、トイレへ車椅子で連れて行ってくれるのです。
12月17日の夕方、看護学生の合唱隊が各部屋の前で「きよしこの夜」を唄い、「はやくよくなってください」と書いたクリスマスカードを一人一人に呉れました。これが念入りに作られた手作りのカードなのです。
ここは病院ではなく自宅にいるように思えて、家庭的な雰囲気を感じ取れます。いつまでも入院していたくなる、そういう医療機関だと私は勝手にそう思いました。

[主治医のコメント]

Sさんは気管支拡張症と細気管支炎で,まれに見る重症でした。地元の病院での対応が決して不適切だったわけではないのですが,通常の治療で改善が得られないとき,ではどうするか,それは教科書やガイドラインには書いてありません。教科書に書かれていない事態に直面すると思考停止する,今の医療はそういう流れになっており,大学病院や大病院での医療に不満を抱かれる方が多いのもそんな事情が背景にあります。私たちなりにこの方に合う治療を工夫して,その結果,良い結果が得られ,Sさんは現在お元気で外来通院中です。看護も含めて,病院の努力をトータルに評価して頂き,ありがたく思っています。

45歳、男、飲食店経営、小田原市在住、N様より

私は間質性肺炎と診断されてから神奈川県内の3カ所の病院に行き,そのすべての病院でステロイド以外に治療法が無いと言われました。正直,もう,諦めていました。その後1年間,咳が止まらず,もう完全に諦めていたときに,私の友人がこちらの病院をインターネットで調べてくれて,すぐ受診しました。
最初,T先生が診察してくれて,入院を予約していたところ,インフルエンザにかかり,そのために間質性肺炎が悪化し,とても苦しくなりました。すぐに入院となり,いろいろな薬剤を次々と使って下さり,一時はどうなるかと思いましたが,幸い治療の効果が現れ徐々に回復,咳もおさまって,1ヶ月あまりで退院できました。退院後,肺の機能も少しずつ回復し,仕事も再開できるようになりました。咳は全く出ていません。こんなことはこの数年間で初めてのことです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
入院中のT先生,H先生,そして看護師さん達の優しい接し方にも大変救われました。本当にありがとうございました。

[主治医のコメント]

Nさんは入院直前にインフルエンザにかかり,そのため間質性肺炎が急性悪化を起こして,生命が危ない状態での入院でした。強力なステロイド治療に加えて,エンドキサンパルス療法,そしてシクロスポリン治療を矢継ぎ早に投入,ようやく病勢を抑えることが出来ました。その後も咳が頑固に続きましたが,ステロイドパルス治療に加えて吸入ステロイドを使うことで,咳を完全に抑えることが出来ました。今外来で,シクロスポリンを少しずつ減らしながら治療を継続しています。幸い経過は良く,元の仕事を再開することも出来ているようです。危ないところを助けることが出来ただけでなく,咳という苦しみをもなくすことが出来,医療人冥利に尽きる,と思っております。

88歳 女性 世田谷区在住 Y.K.様 ご家族(娘さん)より

2007年に脳梗塞を患い、左半身麻痺で要介護度5の母ですが、頭はしっかりしており、デイサービスとショートステイを利用しながら在宅生活をしておりました。
2014年6月に間質性肺炎という診断を受けましたが、具体的な治療についての指導や薬の追加はありませんでした。ただ症状は落ち着いていました。しかし、その一年後に咳と痰がひどくなり,近くの総合病院へ搬送,入院となりました。数週間の入院で症状が少し落ち着き退院となりましたが、咳と痰はあまり軽くはなりませんでした。ショートステイ先の施設では咳と息苦しさのためか食事もあまり摂らず、痰吸引も必要な状態だった様で、今後は責任を持って預かれないといわれる状況になってしまいました。その為、デイサービスだけを利用しながら自宅で悶々と在宅生活をしておりましたが、依然、息苦しさのため食欲もなく何事にもやる気がおきない様で、本人も苦しかったと思いますが、周りで世話をしている家族もつらい日々が続きました。
地域ではそれなりに有名な複数の病院で診て貰ったわけですが、新しい薬の追加などもなく、ただ苦しさに耐えているだけの状況に悩んだ末、完治はしないまでも、この苦しい症状だけでも取り除き、以前のように穏やかに過ごせるように治療してもらえる病院がないかを改めて探してみることにしました。

インターネットで色々な情報を検索し、迷った末に東京山手メディカルセンターを選択することにしました。その理由は、ホームページ上で、①間質性肺炎の治療方針等についてとても丁寧に記述してあったこと、②間質性肺炎治療に熱心に取り組まれており、医師間でも高い評価を得られているT先生という方がいらっしゃるらしいということ、③病院ランキングサイトで利用者のロコミ評価が高く、好意的なコメントも多い病院であること等、が分かつたからでした。

早速、T先生が外来を担当されている日を選び、受付開始時間前から並び、初診受付窓口でぜひT先生に診断して頂きたいとお願いして、幸いにもT先生に診察していただくことが出来ました。検査入院が必要と即座に診断され,入院日をご相談していた時に、ショートステイ施設との都合のため一週間後でお願いしたいと切り出したところ、「本人がこんなに苦しそうにしているのに何を考えているんですか!」と一喝され、翌日に即入院という手配を取っていただきました。その時、患者には優しく、病気と家族には厳しい先生なのだなと思いました。
入院中は猛暑の中、毎日見舞いに通いましたが、幾度となく時間を取って検査状況などを説明していただき、すっかり安心してお任せしている自分に気づきました。検査の結果、鳥の羽毛が原因の間質性肺炎と思われるとの診断で、高齢ということもあり,治療はステロイド薬の3日間の点滴とその後はステロイドの吸入薬のみで進めると説明していただきました。さらに、退院前の準備としてハウスクリーニングと羽毛布団やダウンパーカー等の羽毛類の徹底廃棄も厳しくご指導いただきました。

お蔭様で、点滴後から咳も痰も急速に治まり、食欲も回復しており、退院後は以前から本人が好んでやっていたボケ防止のための数独や漢字練習等を自ら進んでやり始めるほどになりました。

他の病院では積極的な治療を何もしてもらえず、本人共々つらい思いをしていた時に、
T先生に出会い、診察していただけたことを深く感謝しております。
また、入院中に担当していただいた先生方や看護士の皆様にも本当に感謝しております。
ありがとうございました。

[主治医のコメント]

Y.K.さんは,間質性肺炎で激しい咳と痰に苦しんでおられました。前医ではそれに対して普通の鎮咳剤などが処方されていたのみでしたが,これはわが国の呼吸器専門施設でも一般的な傾向で,言うまでもなく連日続く咳,痰はとても苦しいものですが,それを何とかしようとする取り組みはほとんどなされていません。私たちは,このような長く続く間質性肺炎の咳にステロイドの点滴とそれに引き続いてのステロイドの吸入が有効である事に早くから気がついており,実践してきました。Yさんにもこの治療法が奏功し,ご本人にもご家族にもとても喜んで頂けました。また間質性肺炎がいろいろある中でもおそらく鳥関連慢性過敏性肺炎と思われ,その線に沿って居住環境の整備をやって頂き,現在のところとても調子が良いようです。自分たちの蓄えたスキルがこうして患者さんの苦痛を緩和する上で役に立つことを職業人として嬉しく思っております。

68歳、女 主婦 東大和市在住 N様

私は10年くらい前から気管支拡張性と診断され、近くの医院に通院していました。朝起床したときから一日中咳、痰に悩まされ、特に休息のために横になるとき、その他、美容院や歯科医院でも仰向けになると咳き込み、また血痰もよく出ていました。いつも同じ薬を処方され、きちんと飲んでいましたが少しも良くなりませんでした。
ある日、偶然のことから、気管支拡張症だったが治ったという方から、この病院のT先生を受診するよう勧められました。
紹介状もありませんでしたが、神にもすがる気持ちで病院に行き、T先生の診察を希望したところ、診て貰えました。
診察を受けると、「1週間の入院が必要です」、と言われ,思わず「入院しなければ駄目ですか?」と言ってしまいましたが、「通院で治るのだったらこんなことは言わない」,と言われ、入院しました。
2種類の点滴治療を受け,1週間で退院しました。
退院後はあれほど苦しんだ痰も血痰も出なくなり、たまに咳が出るくらいで、10年前、発病する以前に戻った感じです。毎日の生活が楽になりました。体調の違いがはっきりわかります。
私はこの病気で10年苦しんだので、一生の病気と思って諦めていました。家庭医学書を読んでも一度広がった気管支拡張症は元に戻らないとあり、仕方がないと思っていました。
お陰様でこのような体に戻ったことは夢のようです。本当に感謝しております。

[主治医のコメント]

Nさんは気管支拡張症という、それ自体はさほど珍しくはない病気でしたが、範囲がやや広く、そして咳、痰が激しく、しばしば血痰も混じるなど、とても辛い日々を送られていました。この病気については最近は治療法を研究する人もおらず、マクロライド系抗菌薬が効かなければ後は打つ手なし、とされています。しかし私はこの病気で症状に苦しむ患者さんに数日間集中的に点滴治療を行うと症状がうんと改善し、後は外来通院で楽に過ごして貰えることを発見、実践しています。Nさんもこの治療法があたり、10年来の苦しみから解放されました。今後も再発を防ぐために外来に通って頂きますが、再びもとのような苦しさに戻ることはないだろうと考えています。

71歳、女、主婦、江東区在住、S様

昨年から激しい咳が続き、4ヶ月以上も原因が特定出来ず、不安な日々が続きました。近くの大学病院では肺癌と言われ、その後癌の専門病院に行きましたところ、癌ではない、しかしでは何であるかが判らない、との事で、呼吸器内科で有名なこの病院のT先生を紹介して貰い、診て頂きました。
2週間の検査入院の結果、肺放線菌症という珍しい病気である事が判りました。その後更に2週間の点滴治療を受け、激しかった咳は治まりました。現在は外来で内服薬投与を受けています。
非常にまれで診断のつきにくい病気と言うことだそうですが、この病院に来てようやく診断がつき、治療が始まり、その経過がよいので安心しています。
2度にわたる気管支内視鏡検査も苦痛なく受けることができました。また毎日のように様子を見に来て頂ける担当医の先生や親切な看護師さん達のお世話で、気持ちのよい入院生活が送れました。
何よりも、2度の転院の末、的確な検査と診断が受けられ、ようやく難しい病気の治療ができたことに感謝しております。

[主治医のコメント]

Sさんは、大学病院での気管支内視鏡で気管支の中に大きな潰瘍があり、癌が強く疑われる所見でした。しかし癌専門病院に移ってからの繰り返しての検査にもかかわらずがん細胞が証明されず、癌以外の何かでは、という事で、そういう難しい病気の診断・治療に強い当院に紹介となりました。検査の結果、遺伝子学的検索で放線菌症と判明、非常にまれなケースですが、ペニシリンの点滴を2週間行ったところ咳は激減し、内視鏡でも潰瘍はほとんど消えました。長年培ってきた当科の難病の診断力が発揮でき、患者さんにも喜んでいただけ、嬉しく思っています。

31歳、女性 主婦 青梅市 M様

平成26年春から体調を崩し、地元の総合病院にかかりました。すぐに間質性肺炎と診断され、治療方法は無く、肺移植を勧める、とのことでした。在宅酸素が始まり、酸素ボンベを引いての毎日となりました。主治医の先生は私の病気についていろいろ調べてくれてはいたのですが、その間にも私の体調は悪くなる一方でした。そんな私の姿を見ていた母がインターネットでいろいろ調べて、東京山手メディカルセンターT医師を見つけました。いろいろ悩みましたが、思い切って病院に行きました。
病院に行ってみると、窓口も判らない不安な私に病院のスタッフの方々はとても親切に案内してくれました。内科外来の看護師さんも初診の私の酸素ボンベの残量を何度も確認してくれるなど気を配ってくれました。この対応の良さに、「ここの病院に決めよう、ここで診て貰おう」と決断することが出来ました。
そしてT先生に初めてお会いしました。
T先生は、こちらに体を向け、私の目を見て、私の話を聞き、病気のことなどわかりやすく説明してくれました。有名な先生と言うことで、キツイ人だろうと勝手な想像をしていたのですがそんなことは全く無くて信頼できる先生だと思いました。
それから検査入院をしました。入院中はE先生という女の先生が付いてくれ、より安心感がありました。検査も入院中にいろいろとやりましたが、どの検査も無理が無く、こちらの体調に合わせてくれました。
検査結果で私の病気はとてもまれなもので、治療法も特に無いと言われていることが判りました。
しかしT先生は、必ず良くなるはずと、自分の考えを貫き、点滴治療を進めてくれました。その結果、入院中からみるみる体調が良くなって行くのが判りました。苦しんでいた咳も止まり、のどを通りづらくて途中で休んでしまっていた食事が完食出来るようになったり、背筋を伸ばして歩くことが出来たり、本当に自分でビックリしました。
入院中E先生はほぼ毎日,T先生も週に2,3度は病室に顔を出してくれました。ただ「どうですか?」だけではなく、私の病気のことについて、判ったこと、今やっている治療法のことなどを詳しく話してくれたり、こちらの話しも耳を傾けて丁寧に聞いてくれたりしました。こういったことで、安心、信頼感が生まれるんですね。
先生は医学的なことだけでなく、私の生活の仕方、家族の援助まで心配してくれました。私には小さな子供が居るので、入院中もそのことに配慮してくれましたし、退院の時には夫を呼んで、ただ病気の説明だけではなく、「君がしっかり支えてやりなさい、無理をさせないように、」「何かあればすぐ病院に連れてきなさい」など言ってくれ、感動いたしました。ここまでしてくれる先生ってなかなか居ないです。
今は1ヶ月に一度通院しています。片道1時間半の電車での通院です。初めてこちらの病院にかかったときと現在とでは天と地の差があるほど、全然違います!今の私があるのはT先生のおかげです。偶然母がインターネットで見つけ、その病院に行ってみたらすごく良い病院ですごい先生が居た、私にとって奇跡です。
今は前向きに病気と向き合えています。

[主治医のコメント]

Mさんの病気は特発性PPFEというまれな病気で、肺が上の方からだんだんと縮んで行き呼吸が苦しくなる病気です。間質性肺炎の一つ、とされています。
免疫異常が関わっていると言われますが、治療法はなく、肺移植しかない、とされています。しかしこの病気自体が移植の合併症として起こる事も多く、移植が最善の方法かどうかは疑問です。私は過去にこの病気の人を二人診ましたが、その中で独自の治療法を考え、二人目の方は余命3年と言われていましたが、10年を超えて今もお元気です。同じ治療(必要なときだけのステロイドパルス療法、そのタイミングの見極めが腕の見せ所です)を3人目のMさんにも試み、幸い自覚症状、日常生活の質はめざましく改善し、肺機能もある程度回復しました。現在は最小限のステロイド内服で見ていますが、3人のお子さんの子育てもこなしながら、明るい毎日を送っておられます。欧米の医学文献に治療法はないと書かれていればあきらめる、のではなく、その病気がなぜ起こるのかを考え、それに沿った治療を工夫し、副作用を十分に注意しつつ最小限の投薬でやって行く、それが私の立場です。

66歳、女性、主婦、千葉県流山市 T様

2006年6月、私は突然階段を上ると息苦しさを感じ、近くの診療所で診て貰いました。肺炎と診断され、抗生剤点滴に通いました。しかし辛さは悪化するばかりで、市内の病院に入院、抗生剤治療が続きました。その後も重症化する一方で、夫が友人の医師(都内の病院の院長)に相談したところ、当病院のT先生を紹介して下さり、すぐに、と言うことで、その日に救急車で転院しました。
その時の肺の症状はとても重く、息苦しさで身の置き所もないほどでしたが、先生の素早い決断と処置とで一命を取りとめました。病名は特発性間質性肺炎の中でも特に進行の早いタイプ、と言うことでした。
御世話になってから7年が経ちます。現在も月一度の通院を続けています。毎回レントゲン、血液検査、時には肺機能検査、CTなど、きめ細かく体調を診て頂いています。時々、気候の変化などで体調を崩し、すると間質性肺炎も悪化しており、ステロイドパルス療法のために短期間入院となり、がっかりする時もありますが、今では、旅行、ゴルフ趣味のパッチワークと日々を楽しく生活しております。
不幸にも特発性間質性肺炎という難病になってしまいましたが、この病院とこの先生にめぐり会ったことをラッキーと思い、一病息災で生活して行きたいと思います。

[主治医のコメント]

Tさんは特発性間質性肺炎の中でも特に治りにくいと言われる急性間質性肺炎で、お話のあったとき、すぐに転院を手配したのですが、ぎりぎりのタイミングで、あと1日遅れていたら病院を移ることもできなかったでしょう。
ステロイドが効かず、シクロスポリンという免疫抑制剤を投入、ようやく反応し、その後良い流れに乗せる事が出来ました。
外来で7年拝見しており、シクロスポリンをかなり減らせたのですが、その後何度も再発を起こしかけ、その都度外来でステロイドの点滴をやったり、短期入院をして頂くなどして、押さえ込んでいます。難病の根は深いなあ、と嘆息すること頻りですが、御本人の明るいお人柄も良い経過につながっているのかもしれません。

66歳、女性、主婦、川崎市 K様

ある日血痰があり、地元の病院を受診しました。診断には気管支鏡検査が必要、と聞き、紹介状の宛先はがん研有明病院でしたが、検査の丁寧さで定評のあるこの病院を選びました。2月15日Т先生の外来を受診しました。即刻入院の指示を受け2月19日入院しました。入院の日も身の回り品最小限で一人で行きました。
部屋が決まるとすぐに看護師のSさんが私が担当しますので、心配な事など、何でも相談、質問して下さいと、言ってくれました、その言葉と応対の優しさで、30年ぶりお産以来の入院の不安は解消して、全てお任せして、検査、治療をして戴こうと思いました。
朝の言葉かけから、検査の度の言葉かけ、が心地よく、お礼の言葉が思わず出る生活でした。
気管支鏡の検査では、状況に合わせた適切な処置で何の苦痛も感じませんでした。
確定した病名は信じたくない肺腺癌。 絶対病気には負けたくない、負けないと思いました。
主治医のТ部長は、個人に合わせ、時間をかけて治療に取り組んでくれる方針で、安心して任せることができました。病状と治療の説明を担当医から受け、抗がん剤治療が始まりました。吐き気、食欲不振の副作用の時、吐き気どめの点滴などは適宜行き届いたもので、精神的に救われました。
部屋やベット周りの清潔さも気持ちの良いもので、お風呂なども居心地よく使えどんな時も言葉かけが徹底していて満足してました。
二回目の入院で、普通の抗がん剤治療の継続か、一日一回の薬(イレッサ)の内服治療かの選択が提案されましたが、その説明は患者の側に立ったもので満足できるもので、イレッサ内服を選択し二週間の入院となりました。その期間中の担当医の行き届いた診療には感謝あるのみでした。「朝に晩に一日二回は必ず見回って、言葉かけと診察が」ありがたかった。
副作用も無く、退院し二週間に一回の通院治療になり、更に三週間に一回でよくなり今に至っています
病院の先生、看護士さんの皆さんが心のこもった対応をしてくれたことで安心して治療に専念できたものと感謝しています。

[主治医のコメント]

Kさんの病気は最近女性に多い肺腺がんです。治療は全て標準的な流れに沿って行われましたが、私達が患者さんと向き合い、良くなって欲しいと願いつつ処方する治療が、2番目の選択(イレッサ)の著効という形でいま実を結んでいることを、医療人として幸福なことに思います。

52歳、男性、会社員、板橋区 N様

肺の難病で入院し、今は外来で診てもらっている者です。ご覧になる方の少しでも参考になればと記します。
私がこの病院の呼吸器を受診したのは、会社の産業医の紹介です。息苦しさから産業医を受診し、間質性肺炎に間違いないと言うことで、入院を前提に専門病院を受診するよう言われました。その時の紹介先として、呼吸器で有名な大学病院とこの病院の名前を告げられました。
どちらも呼吸器では有名であり、間質性肺炎に関して言えば都内で双璧であろうとの説明でした。
私は正直なところ、「大学病院の方が大きいから良いのではないか」と内心考えていましたが、「大学病院は検査に時間が掛かることがある。2・3週間先になることは珍しくない。運よく教授などが担当してくれれば検査は早く済むかも知れないが、そうでないと時間が掛かる。」「私の場合病気が進んでいるので早く治療に入れる方が良いと思うので検査がスピーディーな中央総合病院が良いのではないか」とアドバイスされました。
私は迷わず中央総合病院を選びました。入院の用意をして受診し、紹介状の宛名のT医師の診察を受け、そのまま入院。その日から検査が始まりなんと三日間で全ての検査が終了し、三日目の夜から治療を受けることができました。
気管支鏡検査もT医師が立ち会いリスクの大きさから組織を採るのは中止となりました。何がなんでも採ろうとしないことに「この病院で正解だった」と最初に思いました。
後から聞いた話では私の病気の進行スピードは今までで5本の指に入るくらい速く、あの時2週間も治療が遅れていたらダメージがとても大きくなっていただろうとのことでした。ちなみに学生時代バスケットボール、水泳とスポーツをしてきて4000以上はあったであろう私の肺活量はその時2000を切っていました。
その日から、治療が始まりステロイドパルス、免疫抑制剤の薬物療法により35日間で退院することができました。
たまたま知人に同じ病気の人がおられますが、その人は約4ヶ月間の入院でした。何が違うかと言えば薬を減らすスピードが違うようです。そのおかげで副作用も少なくて済みました。
現在は、月一回の通院でT医師に診て頂いています。減ってしまった肺活量は増え続け今では軽いテニスやゴルフを楽しめるまでになりました。あとは現状をキープすることを目標に頑張っています。

そんな私が思うことは、以下の通りです。
1. この病院を選んだのは正しかった。他の病院が悪いと言う訳でなく、この病院が素晴らしいという事です。
2. 入院中に思ったことですが、毎週行うカンファレンスが正しく機能していて、入院担当I医師がその結果を私にも説明してくれました。今まで4回入院経験がありますが、少なくとも今までの病院ではそんな経験はありませんでした。
3. T医師の「患者ひとりひとりに合った治療を考える」このスタンスが他の医師や看護師、スタッフにまで浸透していると言うことです。 大病院だと同じ病気の患者には同じ治療・・・これが多いと後で知りました。この病院ではそれはないと言えます。(難しいステロイド系の薬の減らし方なども形式的でなく、私のペースは私の身体を見ながら決めていく、そんなきめ細かい治療を受けることができました)
余談ですが、他所の病院のベテラン看護師の方に言われた言葉を思い出しました。
「医者選びも寿命のうち」 荒っぽい言い方かも知れませんが、身をもって体験したと感じています。

退院して今年でまる6年になります。 私はこの病院で治療してきて本当に良かったと思っています。
そして、T医師はじめこの病院のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。

[主治医のコメント]

Nさんは、6年前から拝見している進行の緩やかな間質性肺炎で、抗ARS抗体症候群といい、自己免疫機序の絡む特殊な病型です。
当初ステロイドが余り効かず、免疫抑制剤の切り札シクロスポリンを導入、安定しました。免疫抑制剤は副作用も懸念されますので、徐々に減量して行きましたが、再燃がみられ、薬の量は病状を見ながらきめ細かく調整して行きました。
現在病状は安定し、一旦失われた肺活量もある程度回復し、仕事はもちろんのこと、余暇としてテニスのほかにゴルフも楽しんでおられます。
間質性肺炎は薬の使い方が難しく、画一的な治療では副作用ばかり出てうまく行きません。患者さんの症状をよく聞き、検査結果を吟味し、薬の量を工夫する、これが良い結果につながると信じています。

45歳、女、会社員、新宿区 T様

長引く咳と息切れで近所のクリニックを受診したところ、こちらの病院の内科のT先生を紹介頂き受診しました。
すぐに特発性間質性肺炎と診断され入院。他の肺炎も併発し、一時はベッドから起き上がることも出来ないほどの状態になりました。
ステロイドのパルス治療から免疫抑制剤の内服治療に移行して、少しづつ回復に向かいました。
入院中は先生が頻繁に状態を確認にきてくださり、丁寧に状況を説明して下さいました。
看護師さん達のきめ細やかな看護もあって、3ヶ月の入院生活を乗り切ることができました。
その後は免疫抑制剤の内服を続けながらの通院治療でしたが、毎回こちらの状況に本当に丁寧に耳を傾けてくださるので、長期間の通院も苦になりませんでした。
治療には医師と患者の信頼関係が大切だと思います。それが得られた病院でした。
今では、間質性肺炎もほぼ完治し、念願の子どもも授かることが出来ました。
また、先生の技術を頼って遠方の父親も定期的に診療を受けています。

[主治医のコメント]

Tさんの病気は特発性間質性肺炎の中で非特異性間質性肺炎と呼ばれるものでした。普通はステロイドがよく効くのですが、Tさんは効かず、やむを得ずシクロスポリンを使いました。
その後ようやく病状が安定、軽快し、外来での通院治療となりました。少しづつ薬を減らし、3年半で治療を終了しました。
その後も再発なく現在に至っています。シクロスポリンを必要とする間質性肺炎はなかなか薬をゼロには出来ないのですが、Tさんはそれが出来た数少ない方の一人です。

63歳、男性、製薬会社員、中野区 A様

2011年9月、出社途中突然息苦しくなり、大学病院呼吸器内科受診、急性間質性肺炎と診断され、大学Drの推薦で東京山手メディカルセンターへ緊急入院となりました。
入院後約40日間意識不明で(その間人工呼吸器で命をつないでいたと後で聞きました)、家族・友人は「難病だからもう駄目だ」と思っていたほどです。しかし呼吸器内科T部長はじめスタッフは「最後まであきらめないチーム医療をする」を信念に治療にしていただきました。幸い目覚めたときは人工呼吸器治療は終わっており、その後も先生方が薬の治療を中心にきめ細かく診て下さいました。また看護師さん、リハビリの先生、事務の方々等からも、本当に親切に看病頂き、4カ月後退院しました。
退院時は在宅酸素が必要、また要介護4でしたが、2ヶ月後には在宅酸素も取れ、2012年4月より出社できる位に回復しました。
その後も外来の度に、血液検査、レントゲンを中心に丁寧に見て頂き、一時再発の兆しが現れたのですが、外来での点滴の追加、また診察間隔を詰めて診て頂くなどの対応、その他急に具合が悪くなった折は救急外来受診でも親身に診ていただき、現在病状は安定しています。
最近はすっかり回復し、ウオーキング(15㎞位)やゴルフを各1~2回/月と楽しんでおります。
家族・友人もあの病状を見ていたら信じられないと言っています。
私は第二の命を頂いた感謝の気持ちで一杯です。

また、大学病院呼吸器内科の先生方にお聞きすると東京山手メディカルセンター呼吸器内科はT先生をはじめとしてスタッフが揃っていて臨床経験が豊かで尊敬できるとの話です。
私自身この病院にかかって、呼吸器専門家として信頼できるだけでなく、各科の専門Drとのチームワークが取れており理想的な最先端の総合病院と感じております。

[主治医のコメント]

Aさんは間質性肺炎の中でも特に難治度の高い急性間質性肺炎で、死亡率60~90%と言われる難病です。
入院4日目には人工呼吸器治療となりましたが、ステロイドが効かないと判るや間髪をおかず、複数の免疫抑制剤を矢継ぎ早に投入しました。その効果あって、徐々に快方に向かい、5週間で人工呼吸器から離脱できました。現在のご回復ぶりはこちらが驚くほどで、ゴルフに、ご友人達との企画にと、元気いっぱい日々をお過ごしです。
昨年秋、再燃の兆しが出現、緊張しましたが、外来での点滴などできめ細かく対処し、3ヶ月ほどで乗り越える事が出来、今は病状はすっかり鎮まっています。
我々の平素実践している迅速なチーム医療でAさんの難局を乗り越えるお手伝いが出来、医療人としてとても嬉しく思っています。

78歳、男性、元道場経営、渋谷区 H様

名医にめぐり会うのも寿命のうち
私は平成18年6月、呼吸が乱れ、指先に力が入らずものが掴めないという状態となり、友人のU医師よりJ大学病院を紹介されました。「肺癌の中でも小細胞癌の可能性がある、調べましょう、入院手続きをして下さい」と言われました。ベッドの空きがなく2週間待ちでした。その間症状はどんどん進み、死を覚悟し、入院は断りました。嚥下力も低下し、固形物は受け付けず、水だけという状態になりました。
そんなさなか、U医師の紹介で東京山手メディカルセンターのT医師を巡り会えたのです。連絡が付き、丁度ベッドが一つ空いている、すぐに来て下さい、と言われ、もう二度と家には帰れないと覚悟を決めて入院したのですが、その後わずか4日間の間にどんどんと検査が進み、病名が判明しました。病気はサルコイドーシスと筋無力症、そして甲状腺機能亢進症という難病が3つ同時に発症していたと判り、直ちに治療が開始されました。私はその頃水も飲めなくなっており、呼吸も弱り、まさにぎりぎりのタイミングでの診断と治療の開始でした。これだけの複雑な病気をよく4日間で診断して下さったものと思います。見事な直感力とスタッフの連係プレーでした。
Hさん、大丈夫、薬で100%良くなりますよ、と言われたときは、本人は勿論、家族も友人達も歓喜感動でした。
ややあって落ち着きを取り戻した頃、筋無力症の恒久的治療には専門施設での手術が必要と判り、その病院も紹介して下さり、転院となりました。何度もお見舞いに来て下さり、 その責任感には驚きました。無い筈の命を繋いで頂き、12月末に退院することが出来ました。

退院後も定期的にT先生の診察を受けております。昨年突然「Hさん、胃の検診もたまには受けるものですよ」、と言われ、受けたところ胃の腫瘍が見つかり、また心臓、そして能にも問題が見る借りました、それぞれ東京山手メディカルセンターで診療を受けました。
この病院との出会いなくしては今の私はありません。今では現役を退き、この貴重な体験を通して、いろいろと困った方に相談やお手伝いをしている毎日です。

[主治医のコメント]

Hさんは、全身の筋力の低下が急速に進み、前医で肺癌を疑われた方です。ご自身は症状が重いのと、どうせ肺癌なら助からないと、入院待ちの間に諦めてしまわれたのですが、かかりつけ医の紹介で縁あって当院に来られました。
病状が切迫していましたので、診断を急ぐ必要がありました。CTや病状から、私は肺がんではないと直感し、担当の若い医師が中心になって総合病院の総力をあげて取り組み、4日間で診断に到達することが出来ました。チーム力の勝利だと思います。本当に危ないところで、あと1日遅れていたら、呼吸の筋力が低下し、人工呼吸器が着いていたかもしれないところでした。その後の経過は御本人の手紙にある通りです。
その後も不思議にご縁がある方で、あるとき何の気なしに胃の検査をお勧めしたところ早期の病気が見つかり、手術で間に合い、それをまた喜んでいただけました。今は6ヶ月に一度検診で拝見しているところですが、とてもお元気で、ご縁があったなあ、と思っています。

筋萎縮性側索硬化症の患者に特徴的な症状はどれか?

筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、脳の運動神経(運動ニューロン)の障害によって体の運動機能に影響を及ぼすものです。 最初の段階で症状として多いものとしては、手足のしびれ、手足の脱力感や力が入らないといったことがあります。 そして、呂律が回りにくくなり、はっきり発声できないといったことがあります。

NPPV療法の導入に必要な物品はどれか 国試?

NPPV開始時には、にを準備して、どう進めるの? NPPVの本体、マスク、回路、加温加湿器を準備します。 導入前には、患者や家族への十分説明を行います。

レスパイトケアの主な目的で適切なものはどれか?

レスパイトケアは、介護である家族の休養やQOLの確保のための一時的入所であり、リフレッシュを図ることが主な目的である。

非侵襲的陽圧換気の特徴はどれか?

非侵襲的陽圧換気(NPPV)とは、気管内挿管や気管切開をせずに、マスクを用いて気道内圧を陽圧に保ちつつ、肺胞換気を補助するという人工換気のことをいう。 非侵襲的陽圧換気法の利点は、患者にとって会話、食事などが可能であること、気管挿管を行わないので挿管時の合併症を回避できることなどがある。